光也「翻译文学bot」

[资料收集]辞世句

白根市・小野島編纂
  自らの生き方に、ゆるみを覚えたり、迷いを感じたとき、支えとなる言葉が欲しくなります。また、今を大切に生きるには、死をしっかりと見つめた方の言葉に耳を傾けるべきなのかなと思います。そのような言葉はどこにあるのか? 宗教を紐解けばその中に見つかるのかもしれません。しかし、それは特定の宗教に取り込まれるようで気がすすみませんでした。そこで、ともかく、古今の辞世の句や歌を多く集めてみれば、その中にそんな言葉が、私の望む答え出てくるかも知れないと思い、図書館で調べたり、小説等に出てきたものを記録したりしてまとめてみました。また、その後も、辞世の句を目にするたびに追加してまいりました。結果としての答えは出ておりません。でも、ときどき読み返しては、何か、ああそんなものかなあ、というような共感と安堵のような気持ちを感じています。

  辞世の句なるものは、自らの死を目前にし、死後を意識して、虚勢をはり、格好をつけた言葉であったり、死後、他のだれかが作ったと思われるものもありますが、誰の作った句であっても構いません。必要なのは生き様であり生き様のヒントであるなどと考えています。また、 一口に辞世と言っても、自分の意志に反して命を絶たれる場合、病気による場合、老齢の場合とでは、その心情は異なってくるわけであります。そ死の要因別あるいは死に対するスタンス別に分類してみようかとも思っていますが、まだ、手をつけておりません。単に時代順に並べてみました。 どうぞ、お読みください。

  最初に紹介しますのは江國滋様の俳句です。死と向かい合って生きる方の率直な叫びに思えました。江國様の俳句は、辞世の句とは別次元の、世に強く生きる方のことばであり、こんなところに引き合いにだすべきものではないのかも知れませんが、私としては、死と真正面から向かい合っておられた方の力強さを身近にいつでも感じられるようにと一緒に掲載させてもらいました。自らのガンをあからさまにし、句材にされ 残されたことばからは、これまでにわたしが知り得ていた辞世の句とは違った生きるエネルギーが伝わってまいります。全作品を掲載したいのですが、著作権法に触れる恐れがありますので、5作品にとどめました。他の作品については、どうぞ江國滋様の書物をお読みください。

    2009年に吉岡生夫著「辞世の風景」(和泉書院)という書物を読み、新たに40作ほど教えていただき、追加いたしました。
       
    2011年7月16日現在、155名様の句です。

江国滋氏作  

 ・残寒や この俺がこの 俺が癌   

 ・「癌保険」「うるせい」と消す 春の夜  

 ・渇したら 盗泉の水 絶対飲むぞ      

 ・癌告知され 闘志満つ 春の虹              

 ・花粉症? 俺の病気に 較べれば                                                 

 
     古事記(神代の時代)の中から
弟橘比売(オトタチバナヒメ)                         

 ・ さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも

       注 夫の倭建命の身代わりとなって入水する際の歌、「・・・炎の中にあっても、私のことを心配してくださった貴男・・・。」というほどの意味

 
 
       日本書紀の中から 
大葉子  562年頃   新羅征討軍、調吉士伊企儺(つきのきしいきな)の妻 
 ・ 韓国の 城(き)の上に立ちて 大葉子は 領巾(ひれ)振らすも 大和へ向きて 

       万葉集の中の挽歌は他人の死を悼む歌がほとんどである。
      例 415 竹原井に出遊でます時に立田山の死人を見て感傷びて作らす歌1首

          ・ 家ならば 妹が手まかむ草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ

 

      万葉集の中の次の2人の歌が、自身の死を歌った歌の最古のものかと思われる。 
有間皇子(658没) 18歳                     

    自ら傷みて 松が枝を結ぶ歌2首 
 ・ 磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば またかへりみむ 

 ・ 家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

  

 

大津皇子(686没)  24歳

 ・ 416 ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日の見てや 雲隠れなむ

     (正しくは大津皇子自身のことばではなく、第3者のことばと考えられる)

     <以上、日本古典文学全集 小学館>

     

柿本人麻呂 (生没年不詳) 60歳以上?  

       *岩見国に在りて死に臨む時に、自ら傷みて作る歌一首
 ・ 鴫山の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ 
    
      (万葉集 巻第二223) 
 
        注 「舟にのせられて海に投げられたのであろう。ひょっとしたら、詩人の首には重い石がつけられていたかも・・・「水底の歌」(梅原猛著「新潮社)
 
山上 憶良 (生没年不詳)   

 ・士(をのこ)やも 空しくあるべき 万代(よろずよ)に 語り継ぐべき 名は立てずして 

       (万葉集 巻第六 978) 

        注 「悔恨が底流していても、それは訓戒として表現され激励のことばとして発せられ・・・・・「憶良の辞世歌」(中川幸広著)

在原業平(880没)  55歳

 ・ つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを 

          注 「古今和歌集」の中「病して弱くなりにける時よめる」の詞書

 
源頼政(1180没) 

 ・ 埋木(むもれぎ)の はな咲く事も なかりしに 身のなるはてぞ かなしかりける 
          (平家物語)
薩摩守平忠度(1185没?)不詳 歳 
      
           俊成に託した歌  「薩摩守」=「ただ乗り」のダジャレあり
 ・ さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな
           (千載集66、朝敵のため、詠み人しらずの扱い)
 ・ ゆきくれて 木のしたかげを やどとせば 花やこよひの 主(あるじ)ならまし 
          (平家物語)

平行盛(1184没)不詳 歳  檀の浦
 ・ ながれての 名だにも とまれゆく水の あはれはかなき みはきえぬとも

  

平維盛(生没年不詳) 不詳 

 ・ 生まれては つひに死ぬてふ 事のみぞ 定めなき世に 定めありける
           (源平盛衰記)
  

二位尼(1185没) 不詳 歳  檀の浦

 ・ 今ゾ知ル ミモスソ川ノ 流ニハ 浪ノ下ニモ 都アリトハ 
          (延慶本平家物語) 都のさぶろうぞ(平家物語二)

弁慶(1189没)不詳 歳 

 ・ 六道の 道の(ちまた)に 待てよ君 後れ先立つ 習(ならひ)ありとも
          (岩波書店「義経記」)

源義経(1189没)不詳 歳 
 ・ 後の世も 又後の世も 廻(めぐ)り会へ 染む紫の 雲の上まで
         (岩波書店「義経記」)

西行法師(1190没)義清(俗名)  73歳
 ・ 世の中を 思へばなべて 散る花の わが身をさても いづちかもせむ

 ・ 花さへに 世を浮き草に なりにけり 散るをおしめば さそふ山水

 
  (関連事項) 23歳出家の頃

 ・ そらになる 心は春の 霞にて 世にあらじとも おもひ立つかな

 ・ ねがはくは 花のしたにて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃

 

源実朝(1219没) 27歳 

    ・出発前、異変の予兆があって、・・・庭の梅を観て、「禁忌の和歌を詠じたまふ。」
 ・ 出ていなば主なき宿と成りぬとも軒端の梅よ春をわするな(吾妻鏡)

菊池武時(1333没)不詳 歳 

 ・ 故郷(ふるさと)ニ今夜許(こよひばかり)ノ命トモシラデヤ人ノ我ヲ待ラン(太平記)

 

楠木正行(つら)(1348没)  不詳歳  如意輪寺本堂

  ・ 返えらじと かねて思へば 梓弓 なき数に入る 名をぞとどめる

 
道 元(1253没) 53歳
  ・ 渾身求むるところなく、活きながら黄泉に陥つ 

 

一休和尚(1481没)  88歳

  ・ 須弥南畔(この世界) 誰か我禅に会う。虚堂来る也。半銭に値せず 

     (意訳:この世界、誰が我を理解できよう。虚堂が来て禅を示そうと、半銭にも値しない。)
      
       * 虚堂は南宋時代の臨済宗の高僧 

 

太田道灌(1486没)  54歳 (未確認)   主君の上杉邸で暗殺される。辞世の歌
  ・ かかる時 さこそ命の 惜しからめ かねて亡き身と 思い知らずば   
  ・ 昨日迄 まくまうさうを 入置し へんなし袋 今やふりけり 
             (室町殿日記)
            *注 「まくまうさう」=莫妄想 「へんなし」=なんの役にもたたない(吉岡生夫 訳)
  

足利義尚(1489没) 25歳 ?確認 

  ・ もしを草 あまの袖じの 浦波に やどすも心 有明の 月出る日の  

      よの国までの 鏡山を 思し事も いたづらの身や 」  

                                           
足利義輝・照(1536没) 29歳 
  ・ 五月雨は 露か涙か ほととぎす 我が名上げよ 雲の上まで 

諏訪頼重(1542没) 27歳 自刃
  ・ おのづから 枯れは果てにけり 草の葉の 主あらばこそ 又も結ばめ

山崎宗鑑(1553没) 89歳  俳諧作者
  ・ 宗鑑は いづこへ行くと 人問はば ちと用(癰)ありて あの世へといえ 

 
陶 晴賢(1555没) 89歳  
  ・ なにを惜しみ なにを恨まん もとよりは このありさまの 定まれる身に
 

斎藤道山(1556没)  62歳  

  ・ 捨ててだに この世のほかは なき物を いづくかついの すみかなりけむ 

斎藤吉龍(1561没)   34歳  

  ・ 三十余歳 守護人天 刹那一句 仏祖不傳 

毛利元就(1571没?) 歳 1571年 の春
  ・ 友を得て なおぞうれしき桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は 
 

武田信玄 (1573没) 53歳 4月12日

  ・ おれの死体は諏訪湖の水底に沈めてくれ・・・ (辞世の歌ではない)

鳥居強(すね)衛門(1575没) ? 

  ・ 我君の命にかはる玉の緒はなにいとひけん武士(もののふ)のみち 
         (改正三河後風土) 
 

上杉謙信(1578没) 48歳 

  ・ 四十九年 一酔の夢、 一期の栄華 一盃の酒 

             『名将言行録』にある辞世の歌は、
  ・ 極楽も 地獄もさきは 有明の月ぞ 心にかかる雲なき 
 

別所長治(1580没)  

  ・ 今ハ只 恨ミモアラス 諸人ノ 命ニカハル 我身ト思ヘハ 
            (播州征伐之事)

長治女房(1580没)  

  ・ モロ共ニ 消ハツルコソ 嬉シケレ 後レ先タツ 習ナル世ヲ 
           (播州征伐之事) 注 羽柴秀吉に食料補給の道を閉ざされ切腹

佐久間盛正(1588没)   29歳  

   ・ 世の中を ぬぐりもはてぬ 小車は 火宅のかどを いづるなりけり 

古川経家(1581没) 34歳 

   ・ 武夫の 取り伝へたる 梓弓 かへるやもとの 栖なるらん
 

 
武田勝頼 (1582没)3月  勝頼主従の辞世の句(『理慶尼記』)

    勝頼室 北条氏
     ・かゑる雁 頼む疎隔の 言の葉を もちて相模の 国府(こふ)におとせよ
     ・ねにたてゝ  さそなおしまん  ちる花の  色おつらぬる  枝の鶯  

     ・黒髪の 乱れたる世ぞ 果しなき 思いに消ゆる 露の玉の緒(『甲乱記』)

    武田太郎信勝
     ・またき散る 花とおしむな おそくとく ついに嵐の 春の夕暮
     ・あたに見よ 誰もあらしの 桜花 咲ちるほとは 春の夜の夢(辞世)

    武田大膳大夫勝頼
      ・朧(おぼろ)なる 月もほのかに 雲かすみ 晴て行衛(ゆくゑ)の 西の山の端

    土屋右衛門尉昌恒
       ・俤(おもかけ)の みをしはなれぬ 月なれば 出(いづ)るも入るも おなじ山の端

    土屋昌恒の弟(秋山勝久か)
         ・夢とみる 程もおくれて 世の中に 嵐の桜 散りはのこらし
  

清水宗治(1582没) 45歳  月清(兄・入道)
  ・ 浮き世をば 今こそ渡れ もののふの 名を高松の 苔に残して 
  ・ 世の中の 惜しまるる時 散りてこそ 花も楓も 色も色なれ
          (高松記)
         注 信長の訃報を知った羽柴秀吉が自刃を講和の条件として切腹させられる

織田信長 (1582没)  49歳 6月2日

   ・ 人生五十年 下天のうちを くらぶれば 夢幻の ごとくなり  
           (辞世の歌ではない)                  

明智光秀(1582没) 55歳

   ・ 順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す 心知らぬ人は何とも言へいへ身を惜しまじ名をも惜しまじ
                           

佐々成政 (   没)  歳 月 日

   ・ このごろの 厄妄想を 入れ置きし 鉄鉢袋を 今破るなり
   

柴田勝家(1583没)  61歳  お市の方 37歳 夫人(お市の方)と共に天守閣に登り、火を放って自刃する。 

  ・ 夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲居にあげよ 山郭公  
お市の方
  ・ さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそう 郭公かな(天正記)

中村文荷(介錯した人)

  ・ おもふどち 打ちつれつつも 行道(ゆくみち)の しるべやしでの 山郭公

                          

初代 本因坊 算砂(?没)

  ・ 碁なりせば、コウなど打ちて 生くべきを、死ぬるばかりは 手もなかりけり

 

北条氏政(1590没)   52歳  

  ・ 吹くとふく 風なうらみそ 花の春 もみぢの残る 秋あればこそ 

千利休(1591没)
  ・ 人世七十 力圍希咄(カーッ、トーッ) 吾這宝剣祖仏と共に殺す

              堤ぐる我が得具足の一つ太刀 今この時ぞ天に抛 

石川五衛門(1594没) 不詳 

  ・ 石川や浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種子は尽くまじ

                    

蒲生氏郷(1595没) 39歳

  ・ 限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき 春の山かぜ
   
豊臣秀次(没)         

   十方仏土の中(うち)とあるときは、 方角は入らざるものなり 切腹の際、西を向くように言われて

豊臣秀吉(1598没) 62歳 8月18日         

          秀吉五十一歳の時
  ・ 露と落ち 露と消えにし 我身かな 難波の事も 夢のまた夢 

 

細川ガラシャ(1600没) 38歳 

  ・ ちりぬへき 時しりてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 
            (綿考輯録)
  ・ 先だつは おなじかぎりの 命にも まさりてをしき 契りとをしれ
            (常山紀談)
  

平塚為広(1600没)
   ・名(君)のために棄つる命の惜しからじ終にとまらむ浮き世と思へば

大谷吉嗣(1600没) 上記の返し歌
                    関が原合戦 10月21日(旧暦9月15日) 親友三成に殉じた仁義の武将として後世に伝えられている。ハンセン病        

    ・ 契りあらば 6つの衢(ちまた)に 待てしばし おくれ先立つ たがひありとも

石田三成(1600没) 上
    ・ 筑摩江や芦間に灯すかがり火とともに消えゆくわが身なりけり

黒田官兵衛(如水)・(1604年没)  59歳
  ・ 思いおく 言の葉なくて ついに行く 道は迷わじ なるにまかせて 

 
真田幸村(1615没)
   ・ 関東軍百万も候え男は一人も無く候ふ

徳川家康(1616没) 75歳

  ・ 嬉しやと 二度さめて 一眠り うき世の夢は 暁の空

   ・ 先に行き後に残るも同じこと連れてゆけぬ別れぞ思ふ

島津義弘(1627没)   72歳  

  ・ 春秋の 花も紅葉も とどまらず 人も空しき 関路なりけり 

        関路=関ヶ原
 

伊達政宗(1638没)(1636没) 69歳 70歳  

  ・ 雲りなき 心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く 

            15人殉死、その家来5人も追い腹            

  ・ 四十年前 少年ノトキ 功名聊カ マタ自ラヲ 私ニ期ス

     老来リテハ シラズ 干戈ノコト タダ春風ニ 桃李ノ盃ヲトル
 

乞 食 (1672ころ没) 20歳くらい    

  ・ ながらへば ありつる程の うき世ぞと おもへば残る 言の葉もなし
           (新著聞集)
          有る貴き御方和せたまひて

  ・ 言の葉は 長し短し 身のほどを おもへばぬるる 袖の白妙
  ・ なきと詫る その言の葉の 残るさへ 聞に泪の 袖にあまるる

松前公広 (1641没) 43歳 藩主   

  ・ 来し道も 帰る道にも 只独り のこる姿は 草の葉の露
 

太田道灌(   没)    歳 刺客に槍で刺されたとき

   ・かかるとき さこそ命の 惜しからめ(刺客) 兼ねてなき身と 思ひ知らずば(道灌)    
 

沢庵和尚(1646没) 73歳 

   ・ 夢   百年三万六千日 弥勒観音幾是非 是亦夢非亦夢 弥勒夢観音亦夢 仏云応作如是観 

     沢庵野老卒援筆

  

橘 以南(  没) 73歳 
          「天真録」の内容を幕府から追求されもはやこれまでと、桂川に投身自殺したという(佐藤吉太郎の推理)
   ・ そめいろの山をかたみにたてぬれば我なきあとはいづらぬかしぞ

 

保科正之  (1671、8.21詠 1673。12.18没)  
  ・ 万代といはひ来にけり会津山 たかまの原のすみかもとめて

 

千子(ちね)・千代子 (1688没)     

  ・ もえ易く又消え易き蛍かな(俳諧玉藻集)

井原西鶴(1693没) 52歳 
  ・ 辞世 人間五十年の究り、

       それさえ我にはあまりたるに ましてや浮世の月見過しにけり末二年

       追善発句

          月に尽きぬ 世がたりや 二万三千句   如貞

          念仏きく 常さえ秋は あわれ也   幸方

          秋の日の 道の記作れ 死出の旅   万海

          世の露や 筆の命の 置所   信徳

          残いたか 見はつる月を 筆の隈   言水   

八百屋お七

          注 死出の旅路のはなむけの花にと咲き遅れの桜を一枝手渡すと
 ・世の哀れ 春吹く風に 名を残し おくれ桜の 今日散りし身は   

 

松尾芭蕉(1694没) 50歳

  ・ 旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる
   

浅野内匠頭長矩(1701没) 35歳 (元禄14)3月14日午後6時

  ・ 風さそふ 花よりも猶 我はまた 春の名残を いかにとやせん

                   

大高源吾(1703没) 31歳

  ・ 梅で飲む 茶屋もあるべし 死での山

 

大石良雄(1703没) 44歳

  ・ あら楽し 思いは晴るる 身は捨る 浮世の外に かかる雲なし(赤穂義士事典)
  ・ あら楽や 思は晴る 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし(介石記)

 

岩田涼と(1717没)  73歳

  ・ がってんじゃ其暁のほととぎす

平田靱負(ユキエ)(1755没) 51歳 

・ 住みなれし 里もいまさら なごりにて 立ちぞわづらふ 美濃の牧原

      注 幕府の命で岐阜に治水工事を行った薩摩藩の家老職 過大な出費の責任をとって自刃

貝原益軒(1714没)  84歳 

  ・ 越し方は 一夜ばかりの 心地して 八十路あまりの 夢を見しかな
 

小西来山(1716没) 62歳 俳人 「俳諧三物」を刊行

  ・ 来山は うまれた咎で 死ぬる也 それでうらみも 何もかもなし
 
近松門左衛門(1724没) 71歳 

  ・ それぞ辞世 去ほどに扨(さ)てもそののちに残る桜が花しにほば

尾形乾山(1743没) 81歳 

  ・ うきこともうれしき折も過ぬればたたあけくれの夢計なる

 

無外坊燕説(1743没) 73歳 

  ・ 此界に二度と用なし秋の風
羽川珍重(1754没)ハネカワチンチョウ 75歳 浮世絵師 

   ・ たましいの ちり際も今 一葉かな 
 
安藤松軒 (1755年没)73歳

   ・蓮の実やどこへなりとも飛び次第

仏行坊(1756没) 

 ・ ゆこうゆこうと 思えば何も 手につかず ゆこやれ西の 花のうてなへ 

       (近世畸人伝) 確認必要

浮 風(1763没)  61歳

  ・ つれもあり いまはの空に ほととぎす

 

加賀千代(1775没)  73歳

  ・ 月も見て われはこの世を かしくかな
    注  「かしく」は憔悴の意の動詞、「恐」の意味の名詞の転とか?

 

朱楽菅江・あけらかんこう(1800没)  60歳

  ・ 執着の心や娑婆に残るらむよしのの桜さらしなの月

     蜀山人の追悼  ・ 執着の心が娑婆に残るなら、再び口を、あけら菅江
   

手柄岡持(1813没)  78歳 

  ・ 死たうて 死ぬにはあらねと おとしには 御不足なしと 人やいふらん 

司馬江漢(1818没)  71歳  洋風画家

  ・ 江漢が 年が寄ったで 死ぬるなり 浮世に残す 浮絵一枚 

  

太田南畝(1823没) 75歳 戯作者「杏園詩集」

  ・ ほととぎす 鳴きつるかた身 初がつお 春と夏との 入相のかね

 

田上菊舎(1826没)  73歳  

  ・ 無量寿の宝の山や錦時 

林八右衛門(1830没) 63歳  百姓一揆指導者
  ・ 六十路ふる やぶれ衣を ぬぎすてて 本来空へ 帰る楽しさ

 

良 寛(1831没)  満72歳  二月十八日

  ・ 良寛に辞世あるかあと人問はば 南無阿弥陀仏といふと答えよ
  ・ 不可思議の弥陀の誓ひのなかりせば 何をこの世の思ひ出にせむ
  ・ 御仏のまことの誓ひの弘からば いざなひ給へ常世の国へ 

十返舎一九(1831没) 66歳  
  
  ・この世をば どりゃお暇に 線香の 煙とともに 灰左様なら
 

  

柳亭種彦(1843没)  71歳  

  ・ ちるものと 定る秋の 柳かな
      源氏の人々のうせ給ひしも、大かたは秋にあり
  ・ 我も秋 六十帖を なごりかな
 

英一珪(1843没)  ?歳  

  ・ 二三百を生きやうと思ひしに八十五にて不時の若死に
 

中山信名 (1836没) 49歳  国学者 

  ・ 酒も飲み 浮かれ女も見つ 文もみつ 家も興して 世に恨み無し  

 

平田篤胤 (1843没)  67歳 国学者

   ・ 思う事の一つも神に勤めずけふ罷るかあたらこの世を

岡田以蔵 (1865没) 27歳  土佐勤王党 「人切り以蔵」 

  ・ 君が為尽くす心は水の泡消えにし後は澄み渡る空 
 

伴 信友(1846没) 73歳 国学者

  ・ いまわには 何をかいわむ 世の常に いいし言葉ぞ 我が心なる                    

  ・ ついに逝く ときはきにけり 残りいて なげかん人ぞ かなしかりける

  

長島寿阿弥(1848没)  79歳  

  ・ 孫彦に別るることのかなしきもまた父母にあふぞうれしき
 

 

曲亭馬琴(1848没)  81歳  

  ・ 世の中の役をのがれたもとのまゝかへすぞあめとつちの人形

葛飾北斎(1849没)  89歳  

  ・ 人魂でゆくきさんじゃ夏の原

      注;「きさんじゃ」は気晴らしの意味

国定忠治(1850没) 41歳 博徒 侠客  本名・長岡忠次郎 12月21日           

  ・ 見てはらく  なしては苦敷 世の中に せましきものは かけの諸勝負

  ・ 見て楽ぞ 成して苦しむ 悪業の 今罪きへて 蓮台に乗る

  ・ やれうれし 壱本ならで いく本も かねが身に入る 年の暮かな (磔のこと)
 

吉田松陰(1854没) 30歳   萩藩、「天皇の前の平等」10月27日赤穂浪士にささげる

  ・ かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂

  ・ かへらじと 思い定めし 旅なれば ひとしほぬるる 涙松かな 

  ・ 親思ふ こころにまさる 親ごころ けふの音づれ 何と聞くらん 

  ・ 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも とどめ置かれし 大和魂

 

   

歌川広重(1858没)  61歳  

  ・ 東路へ筆をのこして旅のそら西のみ国の名ところを見舞(みむ)

田中河内介(1862没) 47歳 尊王攘夷派志士            

  ・ ながらへて かはらぬ月を 見るよりも 死して払はん 世々の浮雲  

 

平野国臣 (1864没) 36歳  福岡藩士 禁門の変で斬首  

  ・ みよや人 嵐の庭の もみぢ葉は いづれ一葉も 散らずやはある

 

真木和泉 (1864没)  51歳 尊王攘夷派志士     

  ・ 大山の 峯の岩根に 埋めにけり 我が年月の 大和魂

 

高杉晋作 (1867没)  28歳 肺結核 長州藩士

   ・ おもしろき なき人生を おもしろく
 
    枕辺にいた野村望東尼が見かねて、下の句を
       住みなすものはこころなりけり  晋作いはく 「面白いのう」
 

高橋多一郎(1860没)  46歳   桜田門外の変の首謀者 水戸藩士 

  ・ 鳥か啼く あつま武男か 真心は 鹿島の里の あなたと知れ

二宮尊徳(1856没)  69歳  十月二十日

  ・? 

 

月照  (1858没) 46歳   12月20日 (旧暦11月15日)
  ・ 曇なき 心の月と もろともに 沖の波間に やがて入りぬる

西郷隆盛 (この時は助かる) 51歳 

  ・ 大君の ためには何か おしからむ為 薩摩の迫門に 身は沈むとも(上記 月照とともに入水のときの句)
  

文天祥(中国の詩人) 石田和助 (1868没) 15歳~17歳 白虎隊の1人  8月23日 
  ・ 人生古より 誰か死無からむ 丹心を留取して 汗青を照らさむ
      (どうせしぬなら至誠忠義のの心をしっかり世に残し、長く歴史に輝かしたいものだ。)

飯沼貞吉 (1868この時は助かり、昭和6年没) 15歳~17歳 白虎隊生き残り  8月23日 
  ・ 梓弓向かう矢先はしげくとも 引きな返しそもののふの道

西郷千重子 (1868没) 会津家老・西郷頼母の妻  8月23日  21人自刃
     
   ・ なよ竹の 風にまかせる身ながらも たわまぬ節は あるとこそきけ

    娘   <さんずい>爆布子(たきこ)  細布子(たえこ)

   ・ いざたどらまし 死での山道 手をとりて 共に行きなば 迷わじを

中野竹子 (1868没) 会津婦女隊 
  ・ 武士(もののふ)の 猛き心に くらふれは 数にもいらぬ 我身ながらも

 
貞信尼 (1872没)  
  ・ くるに似て かへるに似たり おきつ波 立居は風の ふくにまかせて

原田きぬ(1872没)    *妾の身分で密通のし、主人を毒殺 
  ・ 夜嵐に さめてあとなし 花の夢   (夜嵐阿衣花廼仇夢)おきぬのはなのあだゆめ

大前田英五郎(1874没)  82歳  侠客

  ・ あらうれし 行き先とほき 死出の旅

  

大田垣連月(1875没)  84歳  
 ・ ねがはくは はちす蓮の 花のうへに くもらぬ月を 見るよしもがな

 ・ ちりほどの 心にかかる 雲もなし けふをかぎりの 夕ぐれのそら
              (連月尼全集全・拾遺雑集「辞世」)

稲妻雷五郎(1877没) 29歳  
 ・ 腕押しに ならでや涼し 雲の峰 (根本家墓の墓誌)
 ・ 稲妻の 去りゆく空や 秋の風 (横綱力士伝等)

木村円解(1878没) 26歳 長岡藩士 竹橋事件 
  ・ あくまでと 思いし甲斐も なく千鳥 其の名は残れ  越の島根に    

 
新門辰五郎(1875没)  
  ・ 思ひ置くまぐろの刺身鰒と汁ふっくりぼぼにどぶろくの味

太田垣蓮月(1875没) 85歳 

  ・ 願わくば のちの蓮(はちす)の 花のうえに くもらぬ月を みるよしもがな     

井上井月(1887没) 84歳  (明治20.3.10)             

  ・ 何処やらに 鶴の声聞く 霞かな 

  ・ 落ち栗の座を定めるや窪溜り

  ・ 闇き夜も花の明かりや西の旅

  ・ 立ちそこね帰り後れて行く乙鳥(つばめ)

 
大久保一翁(1888没) 70歳  維新政府の官僚 

  ・ なにひとつ 世のためは せでまうつしに のこす姿の 恥ずかしきかな

                  (晩年写真を写すとき)

山岡鉄舟(1888没) 53歳 

  ・ 腹痛や 苦しきなかに 明けがらす    

三遊亭円朝(1900没) 69歳 
  ・ 耳しひて聞き定めけり露の音
  ・ 目を閉じて聞き定めけり露の音(千葉立造翁に「無舌」にならぬと言われて改めたとのこと) 

正岡子規(1902没) 34歳

  ・ 糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな
  ・ 痰一斗糸瓜の水も間に合わず
  ・ をとゝひのへちまの水も取らざりき

尾崎紅葉(1903没) 36歳 

  ・ 死なば秋露のひぬ間ぞ面白き 

三遊亭一朝(1903没) 57歳

  ・ あの世にも 粋な年増がゐるかしら
 

山川登美子(1909没) 30歳

  ・ 父君に召されていなむとこしへの春あたたかき蓬莱のしま
  ・ 父君に召されて去なむ永遠の夢あたたかき蓬莱のしま(山川亮の「姉の思ひ出」)

乃木希典(1912没) 63歳  9月14日 

  ・ 神あかりあかりましぬる大君のみあとはるかにをろかみまつる
  ・ うつ志世を神さりましゝ大君のあと志たひて我はゆくなり 

  夫人静子54歳(静子の死は希典の予定外だったらしい 

  ・ 出てましてかへります日のなしときくけふの御幸に逢ふぞかなしき

有島武郎(1923没) 45歳

  ・ 世の常のわが恋あんらはかくはかりおそましき火に身はや焼くへき
   注 「土地は1個人の私有にすべきものにあらず、共有して互いに責任を感じ、協力一致相互扶助の・・・」 有島武郎全集別巻)

大町桂月(1925没) 56歳 酒仙・鉄脚の旅人

  ・ 極楽へ越ゆる峠のひと休み蔦のいで湯に身をば清めて

芥川龍之介(1927没) 39歳 

    自嘲 ・ 水洟や鼻の先だけ暮れ残る(小穴隆一著」『二つの絵「芥川龍之介の回想』)

中野 貫一(1928没) 83歳

   ・ 無理おごり 朝寝かけ事 慎みて なりはひはげめ 国は栄えん

巌谷小波(1933没) 63歳

   ・ 極楽の乗り物や是桐一葉
宮沢賢治(1933没) 37歳

   ・ 病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなりみのりに棄てばうれしからまし
   ・ 方十里稗貫(ひえぬき)のみかも稲熟れてみ祭三日そらはれわたる
 
木下尚江(1937没) 68歳  社会運動家

   ・ 何一つもたで行くこそ故さとの無為の国へのみやげなるらし
 

江口きち(1938没) 25歳

   ・ 睡たらひて夜は明けにけりうつそみに聞きおさめなる雀鳴きそむ
   ・ 大いなるこの寂けさや天地の時刻あやまたず夜は明けにけり 川場村 桂昌寺

萩原朔太郎(1942没) 56歳

  ・ 行列の 行きつくはては 餓鬼地獄
 

緒方譲(1945没) 23歳

   ・  いざさらば我はみくにの山桜母のみもとにかへり咲かなむ(譲)(緒方家集)吉岡生夫)  
    ・  すがすがし花の盛りにさきがけて玉と散りけん丈夫我は(譲)
   ・  うつし世のみじかきえにしの母と子が今宵一夜を語りあかしぬ(母・三和代)
    ・  ちる花のいさぎよきをばめでつつも母のこころはかなしかりけり(母・三和代)
   ・  初陣の感激高し我が翼国家浮沈の運命かかれり(兄・徹)
                     (靖国神社編「シリーズふるさと靖国・いざさらば我はみくにのい山桜 「展転社)

阿南惟幾(これちか)(1945没) 58歳
     一死以って大罪を謝し奉る 陸軍大臣
   ・ 大君の深き恵みにあみし身は言ひ遺すべき片言もなし

日本戦歿学生 瀬田萬之助(1945没) 21歳  

  ・ 何か宗教の本を・・・たとえ1時的でもいい、心の平衡がもとめられればいいのです 

日本戦歿学生 林市蔵(1945没) 23歳  

  ・ 聖書と賛美歌を飛行機につんでつっこみます。ミッションの徽章とお母さんからいただいたお守り 

日本戦歿学生 市島保男(1945没) 23歳  

  ・ 今限りなく美しい祖国に我が清き生命を捧げ得ることに大きな誇りと喜びを感じる 

日本戦歿学生 菊山裕生(1945没) 23歳  

  ・ 老作家のように「自分のようなものでもどうかして生きたい」という感じをもっている現在の私にどうして銃を持って戦線に赴く事が出来るのだろうか。 

      老作家=島崎藤村
本間雅晴(1945没) 歳  

  ・ 戦友ら 眠るバタンの 山を眺めつつ マニラの土と なるもまたよし 

 

   A級戦犯者 (1948没) (昭和23年12月23日午前零時から35分)

      東京裁判でA級戦犯として処刑された大臣ら   

武藤 章 

  ・ 現世 ひとや(獄舎)のなかの やみにいて かの世の光 ほのに見るかな

                    

土肥原賢二 

  ・ 有無の念 いまは全く あと立ちて 今日このころの 秋晴れの如し

       

板垣征四郎

  ・ とこしへに わがくに護る 神々の 御あとしたひて われは逝くなり

 

東条英機

  ・ さらばなり 苔の下にて われ待たん 大和島根の 花薫るとき

            

東条英機

  ・ 明日よりは だれにはばかる ところなく 弥陀のみもとで のびのびと寝む                

  

山本五十六(1943年 昭和18年  4月18日)

  ・ 天皇の 御楯とちかふ 真心は ととめおかまし 命死ぬとも

永井隆(1951没) 49歳

  ・ 白薔薇の花より香りたつごとくこの身を離れ昇りゆくらむ

     注  この浦上の里人が皆己の如くに私を愛してくださるのがありがたく、この家を如己堂と名づけ、絶えず感謝の意を捧げている。(「この子を残して」)

中勘助(1965没) 80歳  作家・詩人「銀の匙」

  ・ どん栗の落ちるばかりぞ泣くな人

島秋人(1967没) 33歳

  ・ この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温(ぬく)し

山本周五郎(1967没)63歳
 ・ 人間の真価は 彼がではなくて、何を為そうとしたかである。座右の銘  死んだとき 何を為したか

            

三島由紀夫(1967没)  昭和45年11月24日 45歳
  ・ 益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜 

  ・ 散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐

 

新田次郎(1980没) 68歳

  ・ 春風や 次郎の夢は まだつづく

荒畑寒村(1981没) 94歳

  ・ 死なばわが むくろをつつめ 戦いの 塵にそみたる 赤旗をもて
 
山川 登美子  

 ・父君に 召されていなむ とこしへの 春あたたかき 蓬莱のしま
 ・後世は 猶今生だにも 願わざる わがふところに さくらきて来てちる

斎藤茂吉(昭和27没) 

 ・ いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも

河野 裕子(平成10没) 64歳

 ・ なつかしいこの世のとぢめに何を言ふお休みあなたもあなたもお休み
 ・ あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき
  ・ おの世とこの世がごつちやになりてしまへどもこの世の青空には人間のこゑ  
  ・ 新じゃがを箸でころがし茹でながら昨日で終わりし五月かなしむ    
  ・ ざざと来てざざと降りやむ昼の雨くよくよすんなと陽も射してくる    (『姉さんかぶり』) 
  ・ ひとりぺたんとこの世に残されなんとせうひいといふほど椿が落ちる。  (「庭」)  
  ・ 昏々と睡りながらに去りゆかむこの世とぞ思ふ夕焼くる天         (短歌朝日2003・12月号) 
  ・ うとうととただにねむたくベッドにはベッドの時間が過ぎてゆくのみ    (「空蝉」)
佐野収五(平成23没) 

 ・ わかれのみにこの晩年はあるものか一会のさくらしらしらと散る

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